【66歳の私が過去の自分に伝えたいこと】2年前の投稿をアップデートしました!

我が家のポリシー

タイ在住32年になります、現役サラリーマンのシニアライフビギナーです。
2年ほど前、【60代の私が過去の自分に伝えたいこと。前世まで遡って】と題した投稿をしました。

あれから2年!!
”光陰矢の如し”って本当ですね。
会社でも『Time flies!』はよく耳にする言葉です💦

歳を重ねるごとに、時の流れがどんどん加速するって本当です。
『”ジャネーの法則”は言い過ぎだ』という方もおられますが、私は納得派です!

さて今日は、二年前に思ったことから変化がありましたので『過去に戻れたら自分に伝えたいこと』をアップデートしてみました。
私は、只今66歳です。

さて、内容を見ていきましょう!

66年も生きて来て、大したこと言えないなぁ、
と反省も込めまして・・・

いつの自分に? 自分に伝えたいこと その時の様子、境遇
生まれた日の自分に 先ずは誕生おめでとう!先に言っておくが君の人生は波乱万丈だ!
それと長男の末っ子は辛いぞ💦覚悟せい!
生まれは福岡県粕屋郡志賀町。当時は炭鉱町で近所にボタ山が沢山。
姉が二人。やっと男の子誕生。
幼稚園に行けない自分
(経済的事情で)
一日中、母ちゃんと一緒に居られて幸せ者だな!幼稚園に行けなくても、ちゃんと小学生になれるし友達も出来るから心配するな!
一日中、好きな絵を自由に描いていればいい。やがて、それがお前の武器になる!
幼稚園にはいかず、母親の土方仕事に同行。朝から夕方まで出来立てのアスファルト舗装道路に絵を描いていた。

後に絵で鍛えられた右脳が役にたった!
最近の投稿でも紹介
小学生の自分に (年寄りになって猛省している当たり前のこと)、「ありがとう」「ごめんなさい」「わかりません」がちゃんと言える子になれ。
そして、国語はしっかり勉強しろ。
親父のMG5のへアステックを頭に塗って、下駄ばきで隣町の番長に喧嘩を売りに行ったことがある悪ガキ(笑)。
一方、夢中になって読んだ本は、”子供の科学”。
電気工作に夢中
中学生の自分に 自分がどんな境遇に置かれようと、親を恨んだり、他人を羨ましいと思わないこと。
家が金持ちか貧乏かは君の未来と関係ない。未来を決めるのは裸の君自身だ。
家から学校まで7Kmの自転車通学。
中学校は一学年8クラスで、仲の良い友達は数人のみ。人見知りで自分の意思を伝えるのも苦手。
中二の秋、父親が脳卒中で半身不随に。家は更に貧乏に。
高校生の自分に 勉強好きになれとは言わないが、『勉強の本当の目的は世の中を生き抜くための考え方の訓練だ』と心に留めておけ。 大学に行けるような家庭でもなく、近くの工業高校に入学。卒業後、航空会社に行きたかったが、オイルショックでJAL、ANAどこも応募無し・・
社会人になった自分
(高卒18歳で入社)
先ずは先輩から基礎を愚直に学べ。数年後、あの時もっと勉強しておけば良かったと思うだろう・・そう思ったら、その日から勉強を始めろ! 結局、高校の担任の先生がほぼ勝手に決めた会社に入社。”技術職”と呼ばれたが、実際は”技能工”。数年して技能コンクール制覇で目標がなくなり、置かれている境遇とポテンシャルのギャップに気付き始めた。
大学生の自分
(高卒→就職→大学→会社復帰)
大学合格おめでとう!
25歳で大学生だな!
『遠回りも、ちゃんと「道」になっている』から安心せい!
これからは付き合う人も、職場の景色も変わる!
”スタッフ”にならないと自分の思うことが実現出来ないことを悟り、大学進学を決意。運よく会社全額負担で大学に派遣して貰った。同じ会社内ではあったが転職したようなものだった。
(手相占いが趣味の大学の売店のおばちゃんが言った「君は大器晩成型だぞ」がずっと頭に残っていた)
30歳になった自分に 先に昇格する同僚達が気になるのは分かるがスタート地点が違うのだから気にするな!先ずは頼りになる縁の下の力持ちを目指せ。”必死”を貫け!
(下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そしたら、誰も君を下足番にしておかぬ / 小林一三)
会社人生が高卒から始まったので通常の大卒スタッフに比べて5~7年以上の遅れ。それとコンプレックス💦
34歳の時にタイへ出向(今に至る)。
とにかく周りに迷惑を掛けないよう人の数倍は働いた!かなりストイックな働き方だった。
40歳になった自分に 評価もされず、仕事漬けの日々が続くかも知れんが、腐らず愚直に突き進め!君のことを見てくれている人が必ず居る。裏表なく精進しろ!
かっこつけて難しい話しはするな!話しは全て図解しろ!右脳を使え
それと、君の親が一番心配している年代。報告と親孝行を怠るな。
それと、幸せになりたいではなくて『幸せになる』と思い込め!
縁の下の力持ちに徹していたつもりだったが、40歳になった頃転機が訪れた。通貨危機で『遂にタイの会社も店仕舞いか・・』の最中、奇跡的にあるプロジェクト(本社KL)を受注。いきなりPM(プロジェクトマネージャー)に抜擢された。
しょぼかった会社が生まれ変わるトリガーになったプロジェクトだった。
50歳になった自分に 「君のことをちゃんと見てくれていた人が居たことと、その人達のお陰で自分が思っていたことが形になっていることに気付け。そして感謝しろ!」「支えてくれた女房にも感謝しろ!」 プロジェクトをやりつつ会社役員を兼務。ここらで『大卒の方々に追い着いてしまったかも』と感じるように。
ふと周りを見渡したら景色が変わっていて、会社運営に自分が役に立っていることが面白くなる。
60歳になった自分に 「今度は”見てくれる人”になる番が来た。自分を超える人間をクリエートしろ!」
それともう一つ「親をしっかり看取ってやれ。言い難くても親に遺言書を残して貰え」。そして自分も遺言書を今すぐ作成しておけ。
60歳で定年。そのままシニア雇用開始。ただし65歳まで役職付き。
その後一線を外れ、アドバイザーとなった。特命でDX開発も担当。
尊敬していた母親が居なくなった。
僅かな遺産だったが、些細なことで仲の良かった姉と揉めた。。遺言書作成は就活の必須事項と悟る。
66歳の自分 今日を精一杯生きろ!
仮に昔に戻っても、先ずはその時の自分を否定しないこと!
これまで得たものは”人”に残せ。
「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流」
どんなにテクノロジーが発達しても、それを使うのは人!
タイでの勤務は、アドバイザーとして今年度一杯。
但し日本に本帰国後もしばらくサラリーマン継続予定。
『働ける内は働き、やりたいこともやる!』
そして未来の自分に 未来の自分が2025年に戻った時、「それでよし!」と言い切れる自分になっていろ!
力尽きるまで役に立つ存在で居ろ。
力尽きたら支えて貰って感謝しろ。
サラリーマンを引退しても、生涯現役を目指す!

この試み”過去の自分に伝えたいこと”は、今後もアップデートしていきたいと思います。以前書いたことと随分変わっていますが、この変化が生きている証であり、楽しさの源泉かもしれません。

それでは、明日もいい日でありますように!
Have a Nice Day!