【サラリーマン川柳『見て学べ?どうりで部下が育たない』】笑ってしまいましたが💦💦

ためになる話しメモ

サワディカップ!
タイ在住32年になります、現役サラリーマンのシニアライフビギナーです。

今日は、サラリーマン川柳から「見て学べ?どうりで部下が育たない」についてのお話しです!

はじめに
「見て学べ?どうりで部下が育たない」
これは参りました💦💦

『確かに、私を見て来たはずの部下は全員育ってないなぁ!!』

この一句を読んで、思わず「あるある」とうなずいた方も多いのではないでしょうか(笑)
サラリーマン川柳には、笑いと共感と、少しの哀愁が込められていますが、この一句には組織の“人材育成”という深いテーマが潜んでいるようで、この川柳を思いついた方も、あれこれ悩んで来られた人なのかなぁと思いました。

今日はこの川柳を入り口に、「見て学べ」という指導スタイルの限界と、今求められる“育て方”について、ちょっと掘り下げてみたいと思います。

「見て学べ」の美学と時代背景
かつての日本企業では「仕事は見て盗め」が当たり前でしたね。
先輩や上司の背中を見て学ぶ。それが一人前への道でした。無駄口をたたかず、手を動かして技を盗む。そんな“職人文化”が、長らく企業文化にも根付いていました。
このやり方が通用した背景には、ある程度ゆとりのある時間軸と、年功序列という暗黙の保障がありました。「いつか教える」「いつか慣れる」でよかった時代だったと言えるかも知れません。

「見て学べ」は“逃げ”かもしれない
しかし、最近は随分違って来た気がします。仕事のスピードも、業務の複雑さも桁違い。さらに人材の多様性が進み、価値観も学び方も千差万別。
そんな中で「見て学べ」は、育成放棄ともとられかねません。。。特に若手社員にとっては、「何を見ればいいのか分からない」「見ていても教えてくれない」と、フラストレーションの元になっているのは明らかなようです。

この川柳の「どうりで部下が育たない」という“ツッコミ”には、そんな現代のズレへの鋭い皮肉が込められているようです!

「教える」ことの再定義
ここで考えたいのが、「見て学ぶ」と「教える」の関係です。
“見せる”だけではなく、“言葉にする”こと。
熟練者にとって当たり前のことも、未経験者にとっては未知の世界。
「なぜそうするのか」「どうしてそれが大事なのか」その“理由”を伝えることが、教えるという行為の肝になります。
加えて、部下の立場からすれば、学びのスタイルも様々です。
マニュアルで覚える人、実践で覚える人、フィードバックが必要な人もいる。つまり、一律の「見て覚えろ」は、やっぱり育成とは言えないですね。

ただ、昭和人として一言申し上げますと、
昭和の時代には、兄弟や家族のようとまでは言えないまでも、上司と部下の間に強い結びつきがありました。
一見無駄に思えるような“飲みにケーション”の場でも、叱ってもらったり、褒めてもらったりと、貴重な学びの機会があったのも事実です。
古き良き時代には、それなりに活かせる知恵や経験が、今なお多く残っていると思います。

山本五十六『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ、』って今でも十分に通用する名言だと思います。.
(ところで、山本五十六って大正10年ころ、ハーバード大学に留学していたってご存じでしたか?)

「育つ環境」を整えるリーダーシップ
ではどうすればいいのか。鍵になるのは、「育成は環境整備である」という視点です。

  • 分からないことを躊躇なく聞ける空気
  • 失敗を許容する寛容さと、恐れず次のチャレンジを促す空気
  • 自分の成長を具体的なフィードバックで実感できる仕組み

難しい課題ですが、これらがあって初めて、「見て学ぶ」も活きてくるのです。
つまり、「見せるだけ」から「ともに育つ」へのシフトが、現代のリーダー達に求められているんだと思います。

おわりに
「見て学べ?どうりで部下が育たない」
この一句に笑って終わるのではなく、自分の関わり方を見直すきっかけにもなりました、、、
それが、川柳のもう一つの楽しみ方かもしれませんね(笑)
職場という“道場”で、誰かの“育ち”を支えること。難しいけど大事なことです。

それでは、明日もいい日でありますように!
Have a Nice Day!

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