サワディカップ!
タイ在住32年になります、現役サラリーマンのシニアライフビギナーです。
今日もコロナでリモートワークです。
先日、NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」を見ていて改めて思いました。
世の中は、災害、疫病、戦争などを機に、どんどん変化して来ました。番組の内容は「世界を変えた巨大災害」でした。
災害が世の中の仕組みやテクノロジーを進化させて来ました。
皮肉なことに、命や財産に関わる出来事が起きないと、世の中はドラスティックには変化しないと言い換えてもいいかも知れませんね。
初回放送日:2025年6月9日
図らずもその後の世界を変えた大災害の記録。黒人大移動「グレートマイグレーション」を引き起こし、人種差別撤廃の契機となったミシシッピ川の大洪水、ラジオ放送開始につながった関東大震災、新国家バングラデシュを誕生させたボーラ・サイクロン、災害報道の倫理を問うた雲仙・普賢岳の火砕流災害、日本に冷夏で大凶作をもたらし、備蓄米制度導入に至ったピナツボ山の大噴火。巨大災害は社会の矛盾をあぶり出し、変革を促した。
出典;NHK

今日は、三回目のコロナ感染ですので、ちょっとこれまでの軌跡を振りかえっておこうと思います。
コロナからの学び
初めて「新型コロナウイルス」の報道がされたのは、2019年末のことでした。
そこから、世界は一変しました。
タイ在住32年、そして66歳の現役サラリーマンとして、その変化を肌で感じてきた私ですが、今あらためて「コロナが自分たちにもたらした気づき」について整理してみたくなりました。
大きな衝撃のひとつが、志村けんさんや岡江久美子さんの突然の訃報でした。あのニュースを目にしたとき、「まさか」が「現実」になる恐ろしさを実感しました。
時代を代表する著名人がコロナウイルスに倒れたという事実は、私たちの心に深い傷跡を残したはずです。
身近なところでは、タイで働く日本人の同僚が、親御さんの葬儀にさえ参列できませんでした。私自身も感染拡大当時はタイにおり、緊急退避措置でやっと日本に移動できました。
その際、機内のCAさんたちはマスク、ゴーグル、防護服を身にまとい、まるで映画の一シーンのようでした。
さらに、日本に帰国しても住民票のない私たちは、羽田空港の特設ワクチン接種場でファイザーのワクチンを受けました。まずは、隔離規則に従い、国が指定するホテルに「監禁」される形となりました。
出入国の制限によって、帰国どころか、国境をまたぐことすら困難な時代に突入したことに、言い知れぬ無力感と焦燥を感じたものです。
実は、2022年末に亡くなった母との最後の面会は、母が入院していた病院でのことでした。
本来ならコロナ規制により面会は禁止されていましたが、病院のまだ若い男性スタッフが「明日、タイに戻られるのですね・・」と、“彼のご英断”で特別に母に会わせてくれました。
彼は、母の死期が近いことを察していたのでしょう。私の場合は、まだ運が良かったわけですが、家族ですら自由に会えない。。本当にあってはならない出来事だったと思います。
一方で、コロナは「変化」を促す強力なエンジンでもありました。
それまで、会社に毎日通って働くのが当たり前だったのが、あっという間にリモートワークやオンライン会議が日常となり、「出社せずに仕事ができる」という新常識が生まれました。
最初は戸惑いもありましたが、今やそれが当たり前となっています。
「働き方改革だ!」とどれだけ叫んでも変わらなかった世の中を、コロナが問答無用で一変させたのです。
買い物ひとつ取っても、食べ物から生活用品まで、スマホひとつで家に届く時代になりました。
タイでも同様に、ITが生活の隅々にまで入り込んでいることを実感しています。
健康への意識も大きく変わりました。
高齢者のリスクが高いとされたこともあり、自分の体調に敏感になりました。
食事・睡眠・運動、毎日の早朝ウォーキングも、そんなコロナ後の変化のひとつです。
おわりに
歴史を振り返ると、社会を進化させてきたのは「災害」や「戦争」でした。
そして今回の「パンデミック」もまた、例外ではありませんでした。
私たちシニア世代は、「守る」だけでなく、時代の変化に「適応する力」もまた試されているのだと、つくづく実感させられました💦
私;
・ワクチン接種、合計4回(ファイザー。羽田空港で2回。タイの病院で2回)
・コロナ感染、3回(感染源→不明)
妻;
・ワクチン接種、合計4回(ファイザー。羽田空港で2回。タイの病院で2回)
・コロナ感染、1回(感染源→私)


ちなみに私の場合、もしコロナによる日本への一時退避がなかったら、終の棲家は今も建っていないかったと思います!
★【一条・なぜ今更新築?】ずっとアパート住まいでもよかったはずでは?

「変化を恐れるより、変化にどう柔軟に適応するか」ですね?
60歳代になっても、学ぶことまだまだあると実感した5年間でした。
それでは、明日もいい日でありますように!
Have a Nice Day!