【今日は嬉野温泉にお墓参り】またもや色々しくじりまして、今日は移動だけです💦

メモ帳

タイ在住32年になります、現役サラリーマンのシニアライフビギナーです。
今は一時帰国休暇で日本にいます。
今日は、私が子供の頃、10年ほど住んでいた佐賀の嬉野市に来ています。
目的は、両親のお墓参りと、今は空き家となっている実家の処分について不動産さんとの情報交換です。

さて、今日起きたお恥ずかしい話しですが、、
先ず、高速道路の分岐点をうっかり見落として30Kmほど遠回り、、
やっと、目的のルートに戻ったかと安心していたら、今度は『し、しまった!実家の鍵忘れた💦💦』、、
てなことで、高速道路を降りて、泣く泣く自宅へ戻りました。
結果、合計一時間以上のロスと、高速料金、約1500円が消えてしまいました。
悲しいのは、時間とお金のロス以上に、『なんで!こんなにケアレスミス連発してんだ俺~』です。
『それって歳だからでは?』と疑う方も多いと思いますが、
実は、
ずっと昔からこうです(笑)
66歳になった今も、少しも治ってないだけなんです・・
『これでよくここまで仕事やって来れたなぁ!』と不思議ですが、仕事の場合のリカバリー速度は自信あります、、って自慢する話しではないですが(笑)

最初は、ショックで口数も少なかったのですが、その後は気持ちを切り替えて、敢えて遠回りして唐津の鏡山に寄ってみました。

鏡山山頂での写真です。
ちょっと年季の入ったお土産屋さんです。

こちらは、唐津焼のお店です。

鏡山山頂にある池です。
手前の陰は、私と妻です💛

これは、海を一望できる場所に設置されている、佐用姫(さよひめ)の像です。

■ 佐用姫伝説の概要

時は 7世紀ごろ(飛鳥時代)
唐津地方を治めていた豪族・松浦氏の娘 佐用姫(さよひめ) は、美しく心優しい女性だったと伝えられています。
あるとき、朝鮮半島の百済を救援するために派遣された 大伴狭手彦(おおとものさでひこ) 将軍が唐津に立ち寄ります。
佐用姫は彼に恋をし、二人は深く愛し合いました。
しかし狭手彦は任務のため、やがて船で朝鮮半島へ出発しなければなりません。

■ 鏡山の悲恋

別れの日、佐用姫は狭手彦の船団を見送るために鏡山に登ります。
彼女は海のかなたに消えていく船をいつまでも見つめ、
ついには涙ながらに「衣の袖を振って」見送ったと伝えられます。
その姿があまりにも悲しく切なかったため、
人々は「衣振山(ころもふりやま)」と呼ぶようになり、
やがて「鏡山」と呼ばれるようになったとも言われます。
伝説によっては、姫が悲しみのあまり石に化した、
または海に身を投げた、などの異説もあります。

■ 銅像について

鏡山山頂の展望台近くに立つこの銅像は、
その「別れの瞬間」に袖を振って見送る佐用姫の姿を表しています。
大岩の正面には「松浦佐用姫」と刻まれ、
隣の石碑にはその伝承のあらましが記されています。
この像は唐津市民や観光客にとって、
「悲恋の象徴」「女性の一途な愛」のシンボルとして親しまれています。

■ 関連

  • 万葉集にも「松浦佐用姫」を詠んだ歌があり、
    古くから文学作品や民話に多く登場します。
    例:

    「松浦佐用姫が夫(せ)を慕いて立てし衣の山 これぞ悲しき」

  • 佐用姫の伝説は九州北部一帯に残り、
    福岡県・長崎県などにも「佐用姫岩」「佐用姫神社」といった地名が残っています。

 

明日は、朝からお墓参り。その後、不動産屋さんと雑談です。
それでは、いい日でありますように!
Have a Nice Day!

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こちらは、売却を予定している家です。
8LDK、床面積60坪、土地230坪。
浄化槽、井戸、太陽光発電付きの自慢の和風家屋でした!
二年前に亡くなった母親に買ってあげたものですが、名義は私自身です。