タイ在住32年になります、現役サラリーマンのシニアライフビギナーです。
今日は、先日の投稿※に続き、”親の気持ち” についてのお話しです。

SNSで見かけた、グサッと来るお話しでしたのでさっそく記録です。
ほんの少し修整していますが、SNSから拾わせて頂いた↓原文↓のままです。
多くの人が犯す最大の過ち
それは貧しいことでも、しっぱいすることでもなく、
親の前で『自分が正しい』と証明しようとすることです。
自分はもう大人になった。
本もたくさん読み、世の中を理解し、理屈も通る。
だから親が何か言うたびに、すぐ反論してしまう。
でも、忘れてはいけません。
親は勝ち負けのために話すのではありません。
自分が正しいと示したいわけでもありません。
ただ、あなたが苦しむのが怖いだけなのです。
親はもう年を重ねています。
議論する体力も、正しい・間違っているを争う気力もありません。
ただ、子供が少しでもつまずかずに生きてほしい。
それだけを祈っています。
親はいつも正しいとは限りません。
でも、子供が間違うことを望んだことは一度もありません。
いつか、もう一度だけでも親の声を聞きたい。
叱ってほしい、心配してほしいと思った時、
その親は、もういないかもしれません。
言葉の上で親に勝っても、
人生すべてを後悔で失うことがあります。
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出典:Yuri & Yama in Japan
親に論理で勝とうとすることは、人生における「最大の過ち」かもしれないというお話しですね。親が口うるさく言うのは、正しさを証明したいからではなく、子が苦しむことを恐れているから。言葉の勝負で勝つことよりも、その背後にある祈りに寄り添う大切さを考えさせられますね。。
親に「勝つ」ことの虚しさと、その背後にある親の愛情
私たちは大人になり、知識を蓄え、社会を知るにつれて、親の言葉が古臭く、理屈に合わないと感じることが増えていきますね。つい「自分のほうが正しい」と論理で言い負かし、親を黙らせてしまう。しかし、その勝利に一体何の意味があるのでしょうか?という問いかけです。
親が私たちに言葉をかけるとき、それは議論に勝ちたいからではなく、ただ、「我が子が少しでも苦労せず、健やかに生きてほしい」という、切実なまでの祈りから出た言葉なのです。親は正しさを競う相手ではなく、私たちの幸せを誰よりも願っている存在です。
年老いた親には、もう激しい議論を交わす気力も体力も残されていません。それなのに、私たちは自分の正しさを証明するために、親の小さな親心を打ち砕いてしまうことがありますね・・
言葉の勝負で親に勝ったとしても、いつかその声が聞けなくなったとき、残るのは深い後悔だけかもしれません。「心配してくれる誰か」がそばにいることの有り難さを、私たちはもっと早く知るべきだったと気付くのです。

私の両親は既に他界していませんが、若い頃、よく親に口答えしたことを思い出しました。今思えば、屁理屈ばかり並びたて、ただ粋がっていた気がします。。誰にでもある、大人になって行く過程の出来事だったのだと思いますが、今日の話しを目にしてちょっと反省しました💦
ただ、そもそも『私らは生まれて初めての人生をぶっつけ本番で生きています』ので、親孝行の為にも、しっかり前を向いて生きて行こうと思います!
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それでは、明日もいい日でありますように!
Have a Nice Day!



