【60代シニアを元気にしてくれる言葉】晴耕雨読・自分を切り売りしない生き方♪

我が家のポリシー

これは、昨日の投稿で紹介したコルクボードの片隅に貼っている”2008年の新聞スクラップ”で、松下電器の中村郁夫会長のエピソードです。

『自分を見失うな!』と自分に言い聞かせる際のバイブルです。

なお、この記事を読んでからは『ご多忙中』をやめて『ご多用中』しか使わないことにしています。
(社内で”ご多用中”を使っている人は少なく、ちびっと優越感にしたっています・笑)

以下、切り抜きの全文です。(今は、音声で文字を起こしてくれるので、私のようにブラインドタッチ未熟者には大助かります!)

遠みち、近みち、
「自慢するような話ではありませんが、私は残業をした覚えがあまりないんですよ」。
松下電器産業の中村郁夫会長はこともなげに言う。トップに上り詰めた人だから、昼夜の別なく働いたのかと思ったらそうではないらしい。
「自分の時間まで切り売りすることはないでしょう」
ごもっともである。
海外勤務から戻り、分社の社長になって専務に就任した時には、自ら勤務時間を朝7時半から午後4時半と決めて実行した。
無駄な会議などバッサリ削り、通常の連絡はメールで済ませた。
社長時代も余計な宴会はお断りだった。
経営改革を断行して「パナソニック」へ社名変更に至る路線をしくと、「このままでは独裁者になる」と社長を交代した。
しかし会長になって日本経団連副会長や日本銀行参与などの役職がどっと増えた。
仕事をたくさん引き受けて忙しいことを自慢げに話す話す人がいるが中村さんは趣がだいぶ違う。
「昔先輩から『ご多忙中』という言葉を挨拶に使うなと叱られました。忙という字を分解すると、心が亡くなるという意味になる。失礼だから『ご多用中』と言いなさいと」
西洋史家の木村尚三郎さんが書いた「ヨーロッパの伝統余暇」という1文に似たような話がある。
ヨーロッパではお金だけでなく時間的にゆとりがなければリッチとは言えない。
日本的に「お忙しいところ」と言うと「あなたは自分の自由な時間もない貧しい人なのに気の毒だが」という意味になるそうだ。木村さんはフランス人に、この決まり文句を言ったら、悲しい顔をされ「お前の言う通り私は忙しい」と返されたそうだ。
松下電器では週に何日か自宅で仕事をする在宅勤務制度を試みている。これを利用している男性社員が子供から「パパ次はいつ在宅勤務なの」とせがまれた。この話を聞いた中村さんは感激した。「親子の絆が強まったのです」。
自分の生活があって良い仕事もできる。仕事と生活を調和させるいわゆるワークライフバランスは「創造性を発揮する前提条件でしょうね」と語る。
「自由闊達にいい仕事をするのが一番ですよ」
昇進を重ねる度に自分を少しずつ曲げて、トップになった時には異様な会社人間になっている人がいる。ビジネスマンとしての中村さんは仕事師だが、「私は晴耕雨読が好きなんです」と言うもう一人の自分を持っている。豊かな老後を迎える為にも、自分を切り売りしない生き方を大切にしたい。特別編集委員 森一夫
これから、終の棲家を満喫する為にも、焦らず晴耕雨読を思い出しながら自分らしく生きて行こうと思います!

 

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晴耕雨読とは、晴耕雨読の意味
晴耕雨読(せいこううどく)とは、いわゆる「悠々自適の田舎暮らし」を指す意味で用いられる表現。自然に逆らわず、晴れた日には外で畑を耕し、雨の日は家で読書でもして過ごす、というような暮らしぶりのこと。都会暮らしにありがちな「仕事や人間関係に煩わされる窮屈な生き方」の対極に置かれる、「自然に身を任せてのんびり暮らす」という理想像。

晴耕雨読の語の由来・語源
晴耕雨読は、三国時代の諸葛亮が軍師として蜀軍に仕える以前の、荊州にて書生として生活していた頃の暮らしぶりを形容する表現としてよく用いられる。ただし「晴耕雨読」という四字熟語の直接の出典は定かでない。

「三国志演義・劉玄徳三顧草廬」(いわゆる「三顧の礼」を描いた場面)に、諸葛みずから「乐躬耕于陇亩兮、吾爱吾庐、聊寄傲于琴书兮、以待天时」と述べるくだりがある。大略すると「自ら畝を耕し、この荒ら屋を愛し、琴書でいくらか心をなぐさめつつ、時機の到来を待っている」といった趣旨の台詞であるが、これを「晴耕雨読」の由来とする見解は少なくない。ちなみに「天时(天時)」には「天候」と「天命」の両方の意味がある。

晴耕雨読の語の使い方(用法)、例文
定年リタイア後はゆっくりと晴耕雨読の余生を全うしたい
不労所得があるお陰でほぼ晴耕雨読の生活を送っている
晴耕雨読の生活に憧れ田舎に移住したが虫の多さに辟易して都会に戻った

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