64歳のシニアライフのビギナーです。今は仕事でタイに住んでおります。
先月、日本に終の棲家(終の住処)が完成しまして、まだいつになるか分かりませんが本帰国の辞令を待っている状況です。
さて今日のトピックは、”昔と今のいいとこどり”です。
私の場合、”激動の昭和”が記憶の大半を占めておりまして自分の原型を作った時代でもあります。
ただ、今さら昭和までタイムスリップしたいという訳ではありませんで、昔と今を上手く融合させることでシニアライフのQOL向上につながらないかと思っている次第です。
幸い私の年代は、電卓さえない超アナログな時代に始まって、今やコンピュータと会話が出来てしまうようなデジタル時代と幅広く経験させて貰っていますので、今後のシニアライフに活用できるヒントやアイデアは山ほどあるに違いない!と期待しています。
まずは『今後も続けたい昔やってたこと』をリストアップしてみました
- ラジオ体操:
えっ、なんで冒頭からラジオ体操?
日々の体内時計のキャリブレーションと、ダラダラ生活しない為のタイムマネージメントのツールとして有効だと思います。小さい頃から体に染みついているリズムです - 筆記用具を使って紙に書く:
キーボード、スマホはほどほどに!
最近、あまりにも漢字を忘れ過ぎ💦
思い付いたことや、これから何か計画を練る時は、先ず手書きで図にしてみる(スマホやPCはあくまでも仮メモや仕上用のツール)
因みに私は、インクの継ぎ足しなどが面倒な万年筆を敢えて愛用しています。
インクを少しずつ付けて書くガラスペンなども手間を掛けている感があって面白いです! - 気持ちは直筆で伝える:
LINEやメールは補助的に!
相手に押しつけがましくしない範囲で、手紙や葉書を使って思いを伝える
今でも”交換日記”をやっている若い方が多いと聞きホッとします!
LINEのスタンプでは伝え切れないものが直筆の絵だと素直に伝わる気がします(下手でもOK) - 大事な写真はプリントアウトして手渡す:
手元に置いていつでも眺められるのがいい!
特にお年寄りにはスマホの写真を見せるだけではなく印刷して渡す。
LサイズでOK!今はセブンイレブンでも簡単に印刷が可能!
最近Updateされていない夫婦のアルバムも要チェック💛 - アナログ機器を使ってみる:
敢えて手間を楽しむ!
レコード、カセットテープなどを生活の一部に取り込んで”手間を楽しむ”こともいいかも。
レコード針を盤に乗せたり、テープの巻き戻しなど、せっかちには面倒ですね!
真空管アンプは、ほのかな明かりが癒しとなり音までも暖かさを感じさせます。ちょっと薪ストーブ的な効果に似ています。
コーヒーミルも手回しがいいです。あの微妙に面倒な作業が意外と幸福感! - 公共交通機関と自分の足を使う:
ルートや時間の最適化を考えることも脳の活性化に!
加えて、一駅前、一停留所前で降りて体を鍛えることも習慣にできるといいのですが。
昭和40年代は自家用の保有率も僅かな時代。小・中学生の頃は、数Kmの距離でも徒歩通学は当たり前だったです - DIY・日曜大工の拡大:
自分のアイデアを形にすべくPDCAを回して生活に張りとメリハリを!
世の中、物があふれ、通販で何でも買える時代になり”自作”する機会が減りました。
昔は、足りない物や欲しい物は自作するしかなく、家の棚から玩具に至るまで、不格好ながらOnly One in the world感が誇らしかったりしました。
家の前には小さな畑があったりして、”家庭菜園=家族の支え” でした。 - アナログな遊びの復活:
右脳を刺激すれば幸福感が増す!
今更かも知れませんが、電子的なゲームではなく機械的に体を使うゲームとか、紙芝居のような人がプロセスに介入して場を盛り上げるみたいな活動を復活させたい気がします。
最近、老人ホームなどでも昔の単純なゲームが人気と聞きます。視覚的に右脳を刺激しながら実際にモノや人に触れることで連帯感や幸福度が増すのだと思います。
意外なのは、昭和的なゲームが今の子供にも人気だということです。 - 洗濯物は竿に干す:
些細なことでも昔からある日常は変えない方が生活は安定し潤う!
乾太くんのような高性能な乾燥機もありますが、体を使って干す、取り込む、アイロンをかける、は我が家のデフォルトにしたいと思います。私も手伝います!
また、二層式洗濯機は昭和に戻り過ぎではありますが、実は”ちょい洗い”とか”ちょい脱水”にはとても便利です!
それと、洗車はマニュアル洗浄のみにします。”大切にしたい気持ち”は車にも伝わるようです! - 離れの工房では薪や再生エネルギー以外は使用禁止:
工房ぐらいは完全に昭和のままでもいいかも!
昭和時代の実家は”薪”が主な燃料でした。プロパンガスは家に炊飯器が来てから。
それでも風呂は薪でした。一時期、近くのボタ山から拾って来た石炭も使ってました。
離れの工房で、風呂を沸かす、筍を茹でるなどには、手作り太陽熱温水器やロケットストーブ(竹を燃料)などを活用しようと企んでいます。
一方で、シニアライフのQOL向上に使いたい『最先端テクノロジー』をリストアップしてみますと、
- 一条工務店の全館冷暖房と太陽光発電蓄電システム
このほど完成した終の棲家”グランスマート”を通して体感できるはず!と楽しみです - 車の運転支援や自動運転システム
シニアライフの活動時間と行動範囲を広げてくれる画期的な技術です!
72歳で自動車免許返上と思っていましたがテクノロジーの進化で75歳くらいまで行けそうです - スマート電動車椅子、補助動力付き自転車など移動支援システム
家に引き籠らない為にも頼りにしたいです - 家庭用支援ロボット。身の回りのヘルパー
最初は会話ロボットなどから。ロボットを通して外の人と繋がることも出来るかも。 - 遠隔医療、見守りシステム
文字通りの”終の棲家”の実現には必須かと思います - アレクサなどを使ったスマート家電
ちょっとしたことはAIに任せた方が他の活動の生産性が高まります - 太陽熱温水器、風力発電などZEHに関連する設備の導入、
- 高度な防犯システム
最近、家に押し入る強盗も多いですね。。 - ドローンで今まで見えなかった景色も堪能
ちょっとだけ物理的な視座も高められたらと - チャットGPTなどのシニアライフへの活用
効率的に情報や答えを収集してアジャイル的にシニアライフを堪能する
もしよかったら、↓こちら↓も参照下さい
【今後も考察、続けます】
【おまけ】
昭和の昔ばなしです(昭和40年代以降)
因みに私は昭和34年生まれ。
- バスに車掌さんが乗っていた
「発車オーライ」のオーライって”Alright or All right”だった!
小学生の頃出現した”ワンマンカー”の意味が分からなかった。 - 田舎は100円札(板垣退助)、都会は100円玉。
だから都会に憧れました。
”ブルーライト横浜”なんてどれだけ空想したことか(笑) - TVのコマーシャルは、一番組につき一社だった
サントリーウイスキー、日産、東芝、花王、、どれも人気番組を提供してました - 家にエアコンがある家庭は稀だった
代わりに安価なウィンドファンが流行ったが、うちにはそれすら無かった。。
基本は扇風機とウチワ
しかも、小学校の時は冷蔵庫すらなかった。 - 昭和40年代はまだ白黒テレビが主流だった
うちは白黒の中古TVで真空管。
最初はVHFの12チャンネル。その後UHFが登場し後付けコンバーターが爆売れ。
カラーTVは金持ちの家だけ。
緑色のサンダーバード2号をTVで見た時の驚きは今でも鮮明に! - 家にダイアル式の黒電話が一台
”お父様”が電話の受話器をさっと取る傾向の強い家の娘さんとは付き合いづらい(笑) - タバコはどこでも吸えた
電車、飛行機、会社のオフィス
入社した時、職場の先輩が『タバコは男の勲章だ』とか言って喫煙を勧めて来た。お陰様で、48歳まで吸っていた。。 - バイクは、昭和46年までノーヘルOK(昭和50年から罰則)
49年、私がバイクの免許をとった頃はまだノーヘル族が居た
Kawasaki Z や Honda CBなど400~750ccが流行った
私はCBX750Fだった - 最初のカラオケは8トラックだった(2Ch x 4曲の無限テープ)
見たことない人は多いと思う。初代カーステレオも8トラだった。 - スペースインベーダーゲーム大流行
私はゲームそのものがあまり好きではなかったので、殆どはまりはしなかったですが、友達は借金までしてはまっていた💦 - 喫茶店にジュークボックスがあってお金を入れて好きな曲を聴いた
運がよければタダで聴けた。 - 車は男の必需品だった
昭和の後半は、一家に車一台の時代が当たり前になった。
私が最初に買った車は、中古のケン&メリーのスカイラインGTX。4枚ドアが欲しかったけど市場から消えるほどの人気で手に入らず。
カーナビが登場したのは昭和56年頃ではなかったか?最初は車が海の上を走っていた(笑) - オートマチック車はごく僅か。免許の技能試験もマニュアル車だったので特に女性にはハードルが高かったと思います。
- 駅のホームで駅員さんが切符にハサミを入れていた
- 公衆電話に長蛇の列、、女子高生の長電話。テレカの小さな穴。。
- 昭和50年前半までは給料は現金でもらっていた、
- 、、、、、、
こうやってリストアップしているだけで昭和にタイムスリップしたような感覚です!